【動画】本明秀文のwiki経歴や学歴!若い頃はスニーカーブームの立役者!

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本明秀文(ほんみょう・ひでふみ)さんは90年代、「アトモス」というスニーカー並行輸入店を立ち上げ、ナイキと組んで別注スニーカーを制作した、スニーカーブームの立役者です。

現在はおにぎり屋を展開し、ファッションビジネスとは異なるビジネスに挑戦されています。

そんな本明秀文さんのwiki経歴や学歴。

若い頃、スニーカーショップ「アトモス」を立ち上げた頃の詳細なども調べてみました。

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目次
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本明秀文のプロフィール

本明秀文さんのプロフィールです

名前:本明秀文(ほんみょう・ひでふみ)

生年月日:1968年生まれ

年齢:55~56歳(2024年6月現在)

学歴:アメリカ・テンプル大学卒業

出身地:香川県高松市

職業:実業家 

家族:妻・長男

スニーカーブームを生み出した!

本明秀文さんはスニーカーブームの火付け役で、「アトモス(atmos)」の創業者です。

本店を原宿に置くスニーカー・カジュアルウェアショップである「アトモス(atmos)」。

他ブランドや企業、キャラクターとの別注・コラボによって、アトモスでしか入手不可能な限定品のスニーカーやウェアを展開していることで有名なショップです。

ナイキ・エアマックス95を一番売った男!

本明秀文さんは、ナイキ・エアマックス95を一番売った男として業界では有名な話のようです。

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本明秀文のwiki経歴や学歴は?

本明秀明さんの経歴や学歴を見ていきましょう

1浪してアメリカの大学に

テンプル大学

本明さんは一浪して、父親のすすめでアメリカ・オハイオ州の学校に進学し、現地で寮生活をしていましたが、友人との喧嘩が原因で寮に居られなくなり、一度日本に帰国。

その後、諦めきれず今度はアメリカのフィラデルフィアのテンプル大学に進学、無事卒業もされました。

僕はあんまり勉強しなくて、基本的にデキがよくなかったです(苦笑)。それで一浪したんですけど、結局駄目だったんで親父にアメリカに行けと。それでアメリカに行ったんですよ。オハイオ州の学校に行って寮に住んでたんですけど、ある日学友から何もしてないのに「ヘイ、ジャップ!」って言ってみかんを投げられた。それで頭にきて喧嘩してしまって…。今でも向こうに非があると思っているけど、寮に居られなくなった。僕はサラリーマンの息子だったから、寮以外はアパートを借りるお金もないし、車もないし、何もないんで、住む場所がなくなって一旦は、アメリカから帰ってきたんです。それから、もう一度アメリカに行ってフィラデルフィアの大学に入った。今度は無事卒業して日本に帰ってきました

SHOES MASTER

商社に2年勤務後、スニーカー並行輸入店を開く

アトモスピンク(atmos pink)

本明さんはアメリカの大学を卒業後、商社に2年間貿易の仕方を学び、1996年にはその経験を活かしてテスクトトレーディングカンパニーを設立しました。

その後、裏原宿にスニーカーの並行輸入店「チャプター(CHAPTER )」を開き、姉妹店「アトモスピンク(atmos pink)」や「トーキョー23(TOKYO23」なども展開、運営していきます。

1996年から本格的にスニーカーの販売を始めたのですが、それが『CHAPTER』という並行輸入のお店でした。年に8回程度、アメリカに1週間から10日くらい滞在し、スニーカーを買いつけては日本に送り、店舗で売っていました。当時こういった販売方法をしている古着屋さんやセレクトショップもありましたが、スニーカー業界では誰もやっていなかったんです。

SNKR DUNK

先見の明がある本明さん。

ナイキ別注で年間10億円売り上げたといいますから驚きです。

2021年にアトモスを400億円で売却

2021年に、本明さんは「アトモス」を大手アパレルチェーン「フットロッカー」に400億円で売却しました。

原宿の一角で始まったスニーカービジネスは、時を超えてアメリカの小売大手企業の目に留まる。2021年にフットロッカー(Foot Locker)が、アトモスをおよそ400億円で買収したのだ。この買収劇が報道されるや、スニーカー業界やファッション業界に大きな衝撃を与えたのである。

日刊SPA

日本国内外にもショップを展開し、ナイキの他にアディダス、ニューバランス、リーボックやUGGなどアイテムを取り揃え

国内外50店舗にまで展開している会社です。

現在はおにぎり専門店「まんま」を経営

新宿3丁目にある「まんま」

本明さんはアトモスを売却後もフットロッカー・アトモスジャパン合同会社のCEO兼CCOとして経営に携わっていましたが2023年1月に退職し、おにぎり専門店「まんま」と同年1月に立ち上げました。

とても人気があって、いつも長蛇の列のようです。

そんな本明氏がatmos退任後に手がけている「おにぎり まんま」のおにぎりは、仕込みに多大な時間がかかるため、提供できる量が限られている。にもかかわらず、新宿店はいつも長蛇の列ができている。 「『まんま』の一番人気のおにぎりは『卵黄×肉そぼろ』で、先月は月間6000個くらい売れました。それでも追いつかないくらい行列を作るお客さんが後を絶ちません。

集英社オンライン

目標はニューヨークへの出店と国内での地方展開だと抱負を語っていたようです。

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若い頃はスニーカーブームの立役者!

前述でもご存知の通り、スニーカーブームの火付け役でナイキスニーカーの人気を広めたのは本明秀文さんであるといっても過言ではありません。

atoms(アトモス)の年間売上10億円

1990年代のスニーカーブームで並行輸入店「チャプター」の業績を伸ばし、小さなショップで年間10億円売り上げていました。

店名のロゴは藤原ヒロシ氏が考案

アトモスの店名のロゴは音楽プロデューサーであり、ファッション・カルチャープロデューサーである藤原ヒロシ氏がデザインされたようです。

1996年に「チャプター」をオープンさせて、2000年に「アトモス」をスタートしました。アトモスという店名は藤原ヒロシさんが付けてくれました。

SHOES MASTER

店舗の外壁デザインは多摩美出身の妹

店舗の外壁のデザインは多摩美術大学出身の本明さんの妹さんが手掛けたそうです。

店舗の外壁デザインは多摩美卒の本明氏の妹が制作。

アトモスは世界でも有数のスニーカーショップとなった

本明さんはある時、ナイキのスニーカーをアトモスで別注できないかと模索されていたようです。

そんな時にナイキジャパンのマーカス・タユイ氏とカフェで談笑し会話の流れから「別注モデルをアトモス作るなら」と話が進行し、絶対売れると判断しこっそり3,000足をオーダーしてしまいます。

その後、ナイキジャパンからお呼び出しがかかり、3時間も説教されたとか。

しかし、完成度が高いことから、アトモスが3,600足、ナイキが2,400足と合計6,000足販売。

その後も名作の別注モデルを次々と制作し、世界でも有数のスニーカーショップへとなりました。

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